世界にひとつのキラキラ

アイドルについていろんなことを喋るブログです

アイドルのはなし(長めの昔の話)

初めまして。初めまして?
文字数が私はいつも凄いことになるので、Twitterではないほうがいいのでは?とかんがえてブログを開設してみました。
noteじゃないのは、ジャニーズのかたのブログははてなブログのほうが多そうまなぁという謎の偏見からです。読んでもらうからとかっていうより、適しているのかな、という理由です。
どっちも変わんないか。


ここでは、私が推してきたアイドルについて話します。
私は二次元のアイドルも三次元のアイドルもすきで、でも三次元のアイドルに関してはまだまだ、全然まだまだなファンです。

ただ、ジャニーズという存在が身近にはやっぱりあるんだな、と最近しみじみ感じさせられています。

このブログを開設したのは、ジャニーズのアイドルの方々についてのことを喋ろうかなという気持ちからです。

だけど、私が今ほどジャニーズのことを見るようになったのは、それまでの他のアイドルからの積み重ねがあったからです。

なので、まぁ誰が読むんだという感じではあるんですが、書いてみます。
スマホで打ってるので右手が痺れます。




私がほんとにほんとにガッツリアイドルにはまったのは、とある地下アイドルの男の子がきっかけでした。
大学はいって始めたバイト先の先輩が、とある地下アイドルのグループの一人がすきでした。
なんとなく断りきれなくて、まぁ人生経験かなとおもって見に行きました。






ほんとに地下だった。
地下アイドルって、ほんとに地下なんですよ。知ってましたか。地下のライブハウスでライブするんです。いや知ってますよね、すみません。


初めて見たときは、へぇ、ってくらいでした。
曲も全然分からないし、でもなんか皆顔はいいな~~~みたいな。
思ってたよりダンス上手だなとか、歌うまいなとか。私が想像していたアイドルのライブは、東京ドームとかの、ファンの顔なんて全然見えないペンライトの海だったので、人少ないしステージと座席近いからよく顔みえるな、とか。

だから、2回目に誘われた時も、まぁなんか格好良かったしもう一回見に行ってみるか〜って感じでした。
そして、私はその2回目のライブでそのグループの最年少の男の子に落ちました。
背が176cmとかあって、白くて、細くて、黒髪で。目がくりくりしてて、ちょっと離れてて。優しい喋り方をするけど、ダンスは激しめな、私と同い年の男の子でした。
当時私は、あんさんぶるスターズ!にハマりたてで(今もずっと好きです、これのことはまた後で話します)、「キラキラしてるアイドル」というのを実際に生で見た感動と衝撃がすごくて、もう一回見たいかもしれない、と、3回目にいくことを決めました。

結局ズルズルと私は彼等のライブに足を運び、解散するまでの約2年、時々休みながらもちょこちょこ現場に行っていました。

手が触れそうな距離の最前列。2列目だって、十分近過ぎるくらいです。いつからか、踊っているメンバーの中から彼しか見えなくなっていました。
地下アイドルなので、曲数はほとんどないためセトリは毎回ほぼ同じ。そして、えげつないほどの公演数。ジャニーズのライブが年に1回とか2回という話を聞いて「それくらいがいい…」と本気で思いました。


ここらへんからは、ちょっと暗めの話。

とにかく、解散までの2年の間、彼等はゾッとするくらいの回数のライブをしていました。全通という言葉がありますが、そんなものどうやってしているんだ?と思うくらいの回数でした。あまり思い出せないのですが、月に4・5回くらい、平日・休日で、昼と夜でライブをしていたりしました。1日に3回ある日もあったと思います。
私はそんなに何度もそこに通うお金もなければ、そこまでのモチベも持っていなくて、個別握手や写真撮影なども、周回している人を見て、
推しにそんなに貢げるのすごいな…ともうなんだか感嘆するしかありませんでした。
休み休みにしかライブに行けなかったのは、お金の問題もありますが、
そこまでモチベが高いファンの方々と同じように自分がモチベが高くいられなかったこと、
「個別握手を何周もする・写真を何度も撮る・ライブにお金を落とす=推しへの愛」
みたいなことが私はできなくて(もちろん、今になって思えばそれぞれの好きの表し方があると思うのでいいのだと思うのですが)、
なんとなく自己嫌悪に陥ったり、色々。

後半は、もう、早く解散してくれ、とずっと思っていました。
先の見えない、安定しないグループを押すこと、まだ当時10代だった推しにはたくさんの未来があること、
掲示板にも、早く解散させてあげたほうがいいんじゃないか、という声がかなりあがっていました。
そんなグループでした。私が好きだった男の子がいたグループは。

キラキラの笑顔で、いつもファンサをくれました。目が絶対に合うんです。席が近いので。あってないわけないんです。
顔を見た瞬間、それまでも笑っていた顔が、さらにくしゃっとした笑顔になる。その瞬間の顔を見るのが大好きでした。
長い手足を大きく動かして踊る姿が好きでした。個別握手の時に、いつも少し汗ばんでいる手も。細くて、大きくて。
近くで見るとうっすらそばかすが見えたり。名前も覚えてくれていました。応援してると何度も、本人に直接だったり、手紙で伝えました。

解散することが決まったと、ツイッターでお知らせを見たとき、私は正直なことをいうと、ほっとしてしまいました。
私が見守っていた2年の間に、一人の男の子はグループから卒業しました。その子がグループだと1番売れていて、グループとの両立が難しい、ということが理由でした。
彼は卒業したら俳優業に専念する、ということでした。彼の卒業ライブは、とても良くて、それから、彼がいなくなったあとのライブの客の入りを見て、あ、減った、と感じました。彼を見にきたファンは、消えていました。もともと、その子が見たいがためにライブに来ていたわけなので。
その子は、今も俳優として活躍しています。まだまだ、ドラマなどには出ていませんが、結構舞台には出ています。特に2・5次元のものとか。頑張ってるな、と、彼が出ているのを見ると嬉しくなります。彼は、まっすぐ頑張っていた人で、だからこそ報われて欲しかった。卒業は寂しかったけど。大泣きしたけど。

解散ライブも見に行きました。最後のライブは、昔グループのことを好きだった人とかも見に来ていて、私はギリギリでチケットを買ってしまったので、立ち見でした。
いつもは近くで見ている仲のいいファンの方とも離れていました。見守って、それから、あぁこれでようやく終わりだ、と思いました。
ファンでいるのが辛かった。ずっと変わらないライブの箱の大きさ、減っていくサイリウムの数。
特に露出も増えないメンバー、いつまで続くんだろうと思うことがたくさんあって、本当に多分私はファン失格なのかもしれないけれど、
初めて推すアイドルがそうだったのは、正直、結構きつかったです。こうやって、うまくいかないこともあるのだと。

最後の個別の握手の時に、見つけられてよかった、ずっと大好きです、と伝えて、
時間がもうなかったので手を離しました。伝えたかっただけで、ありがとうっていう感謝を伝えたくて、それだけでした。
でも、彼は手を離した後、握手のスペースから離れようとする私にむかって少し振り返って、俺も好き!!と、応えてくれました。

なんだかもう、それで2年の全てが報われた気がしました。ありがとう、とか、そういうのだと思っていたので、えっ?としばらくは状況が理解できずにいました。
読んでて多分、いやそれはないだろうと思われても仕方がないし、今でももしかしたら妄想だったのではないかと思うのですが、確かにそんな記憶があって。

もちろんそういう風に言われたらそういう風に返すものなのだと思うのですが、私は、これが本当の本当に彼と交わした最後の言葉だったので、呪いみたいにずっと残り続けることになりました。

そんなに熱心なファンじゃなかったけど、諦めずに行きました。彼が好きだという、小さな小さな光みたいなものをずっと抱いて、自分が無理しない程度ではありましたが。
彼に好きだと、彼のキラキラした笑顔が好きだと、自分にとっての元気の源だと、5枚くらいの便箋にびっしり文字を書いて伝えていました。
重かっただろうな。私はいつも泣きながら手紙を書いていて、泣きながらライブを見ていて、彼がこちらを見て笑うたび、泣きながら笑っていました。

顔が見えるのであれば、いつだって笑顔の自分を見せたかった。
あなたにとってせめて笑顔でいつもみてくれていると思ってもらえるようなファンでいたかった。
あなたのパフォーマンスをいつでも笑顔で、楽しんで見ているファンだと知ってもらいたかった。

そういう、私が彼に渡し続けた想いみたいなのを、錯覚と言われようがなんだろうが、ありがとう、と向こうから少し渡してもらえたような気がしたのです。


彼は今でも、一応芸能活動は続けています。でも、もうアイドルはやっていません。
一度舞台を観に行って、私はアイドルの彼が好きだったのだと気がついてしまって以来、彼のSNSを追うだけの人になってしまいました。
ただ、自分が2年間の間で彼からもらった宝物みたいな、キラキラしたステージを私はきっといつまでも思い出すのだろうと思います。
彼が元気をもらえるファンでいられたのかな、そうであればいいな、と、今でも思います。



ちょっとごちゃついてきたので、私が地下アイドルにハマってた頃の話はここでおしまいです。
次はあんさんぶるスターズ!の話をします。