世界にひとつのキラキラ

アイドルについていろんなことを喋るブログです

デビュー1周年を迎えるにあたって

去年の1月

泣きながら、
母が用意してくれた目の前に置かれた食事を見つめながら、
カルテットの
「泣きながらご飯を食べたことのあるひとは、生きていけます」
ということばを思い出したとき、
絶対に生きてやる、と思えたことは一生忘れない。

そうだ、生きていけるんだ、大丈夫、
こんなに泣いてたってご飯は食べれる、
だから大丈夫だ、生きていけるんだ、と思いながら
眉根を寄せてぼろぼろ溢れる涙もそのままに、
箸を手にとりお米をひたすら口にはこんだのを覚えている。

半ば強引だったかもしれないけれど、
でもきっとあのときそう強く思えなかったら
私は今みたいに生きていけないだろうとおもう。

自分のちょっとした、ミスとも言えない、
ほんの少しの気遣いとか、
詰めの甘さとか、そういうもので
私は自分自身に一生消えない傷を
大学生活の最後に残してしまった。
しかも卒業式もなくなってしまったので、
私の大学生活は
そのほろ苦い思い出を残したまま幕を閉じた。

詳しく話すと身バレしそうなので話さないけれど、
簡単に言えば、自分がしなかったほんの少しの工夫で私の卒業課題における講評はふた言で終わった。
4年間の終わりに1年かけて作ってきたものへの言葉がふた言だった。
2行で終えられるような内容だけど、私にとってはもう、立ち上がれない、動けないと思うほどだった。

大学はとても楽しかったし、
そこで出会えた友人も素敵な人達ばかりだ。
でももっとできることがあった、
未熟以外のなにものでもなかった、と思うのは
多分今になったからこそ言えることなんだと思う。

せめて少しでもマシな記憶にはしよう、
今できることはなんだ、と思って
教授に相談して修正したりして、
少なくとも最終的にはきちんと言葉をもらえたのだけれど、
情けなさとか恥ずかしさとか、
未熟さを実感した。
私はそれなりにそつなく、大学生活のことを色々とこなしていた、と思う、たぶん。
かといって出来がいいわけでもなく、
でもなんとなく、それとなく取り繕った真面目さだけで生きていたので、
成績表にひどい評価がつくことはまずなかった。
私の大学の成績表は真面目に出席して課題もだしていればまぁ優はとれたので、
自分自身の未熟さを本気で実感したことはなかったのだ。

というか、詰めの甘さを。


今でも重たくのしかかるこの言葉は、
当時自分自身を呪うようにひたすら頭のなかで
自分に言い続けていた。
それこそ泣きながらご飯を食べた日、私はただただ眠れないまま自分にたいして呪詛を吐き続けた。

この傷(というと格好良すぎるけど他の表現が見当たらない)は一生消えないだろうな、と
呆然とただひたすら涙を流し続けながら思っていた。

それでも、その日のうちに、
あぁよかったなとも思った。
こういう気持ちに一回くらいならないと、
私はきっと一生それとなく過ごして終わっていただろうと思ったからだ。

一生消えないけど、それをどうにか癒すために多分私はこれからずっと生き続けるんだろう、と思えばもうそれでいいとおもった。
21歳で初めて人生において決定的な挫折をしたけど、一生こうやっていく覚悟ができた。
自分自身でおった傷を癒すためには多分自分自身を認めていくしか癒す方法はないのだと思った。

そして、私はSnow Manのことをふとおもった。
どれだけ泣いていてもある程度自分の感情にカタがつけば他のことを考える余裕は出来る。

Snow Manはこうやって泣いたことはあったのかな、と想いを馳せた。
泣きはしなかったかもしれないけど、
こういう経験はもしかしたら皆少なからずしたのかもしれない、と思った。


阿部ちゃんの受験のエピソードが私はとても印象に残っていたので、そのことがパッと思い浮かんだ。

ジャニーズの活動を一時的に休んで、受験をした18歳の阿部ちゃん。
毎日何時間も勉強して、受験をして、
それでも不合格になって、
何も食べられなくてベッドに一日中いた日があったこと。
最終的に進んだ大学に受かったことがわかってとてもホッとしたと雑誌で言っていたこと。

これは憶測だけど、きっと第一志望ではなかったんだろうなと思っている。
阿部ちゃんの方が、私よりももっと多くの時間をかけて取り組んでいただろうから
正直比べるのもおこがましいけれど、
それでもきっと、今の私みたいに泣いたこともあったんだろう。

そして、私のこの出来事があった当時はSnow Manのデビュー直前だった。

阿部ちゃんが最初に思い浮かんだけれど、
それから少しずつ他のメンバーのことを思い浮かべていって、
彼等がこれから迎えるデビューの日のことを思うと、なんだかそれだけで生きていける気がした。

血のにじむような、というか実際血が滲んだであろう努力の上に彼等が立っていることは間違いないのだけれど、
それでもこういう風に絶望して泣いた夜があっても、
切望したものを手に入れることができる現実が本当にあるのだと思うと、希望はある、とおもえた。
その現実にとてつもなく救われた。


私はあれから1年経った今でも、
まだ自分は全然成長してないな、と思う。
未熟だ。全然まだ、まわりに追いつけていない。
でも多分、あの頃より少しは出来ることが増えた。自分から貪欲に知識を得ようとすることは増えた。
詰めの甘さは元来、長年のものなので相変わらずたまにやらかすし、完璧なんて一生無理なものだとは思っているけれど、あと少しだけ、ここだけ直す、みたいなのは習慣づくようになった。

遠回りせずにストレートで正解を選べたのならどれだけよかっただろうと未だに泣くことがある。
愚かで鈍感にもほどがある。悔しい。
どうして、と自分を責めることは山ほどで、
通勤途中の電車で椅子に座りながらふと当時の情けなさが蘇ってぼろぼろと泣いた日もある。

でも、諦めたくなくてずっとものをつくっている。
難しくて頭を抱えながら情けなさに泣きそうになりつつ、
自分自身の喜びも誰かの喜びも、こつこつ折り重ねながら生きている。そうやって生きて、2021年になった。


Snow Manは、デビュー1周年を迎えた。

1/22には、3rdシングル「Grandeur」を発売した。

色々なことがあった2020年を駆け抜けて、
2021年の始めに発売されたそのシングルのなかにはいっている「ナミダの海を越えてゆけ」が私はとてつもなく好きだ。

1年前のあの日が
癒えない傷や痣になっている私にとって、
彼等がこの歌を歌ってくれることが、
何よりも応援になる。

幸いなことに私のまわりには
私のことを嘲う人は今はいない。
だけど、私のなかに、過去に嘲われたひとだったり、私自身だったりがいて、
それを全部、力尽くでSnow Manが明るい方に引っ張ってくれて蹴散らしてくれているような気持ちになる。

彼等だからこその曲だ。
だからこそ言葉の持つ意味を強く信じられる。

がんばろうと踏ん張れる。
かっこよくなくても叶えたい夢のために生きようと思える。


阿部ちゃんが、アイドルってヒーローみたいだなって、と言ったあのオーラスで、
この人を本当に信頼したいと思った。
自分がアイドルに求めているものを、
この人は全身全霊かけて体現しようとしている。

そして、みんなそれぞれに自分自身が思うかたちで、理想に近づこうと全身全霊をかけている。
そんな9人が揃っているSnow Manというグループが大好きで、大切で堪らないよ、と、空っぽの、それでも輝かしいステージに立っている9人を見つめながらそう感じた。


自分自身でしか癒せないだろうと思ったあの傷が、
その全身全霊さを持っているSnow Manが歌う
「ナミダの海を越えてゆけ」で
少し癒された気がした。
固すぎたものが少し柔らかくなって、傷がまた少し受け入れやすくなった。

そんなの、ヒーローに他ならない。
助けてくれてありがとう。
現実を生きる元気をくれてありがとう。
前を向く勇気をくれてありがとう。

誰も欠けず、9人揃っていてくれて本当にありがとう。


デビュー1周年、本当におめでとう。


2年目はどうか、直接ありがとうの声を届けられますように。