世界にひとつのキラキラ

アイドルについていろんなことを喋るブログです

音楽の日の「生」と「死」

それから、ものすごく今更ですが、音楽の日SnowManを見ました。

その頃はまだ私はSnowManのことをほとんど知らなかったので、TLに流れる「腹筋太鼓良かった」「泣いた」「感動した」という情報くらいしか、音楽の日SnowManのことを知りませんでした。

放送当時は、ジャニーさんが亡くなったばかりだったこともあり、かなり静かなパフォーマンスだったようにも思います。
それは実際の音とかじゃなく、
出ている人たちの気持ちが一つの線になって、音がないような、ざわつきがないような、
誰かを悼むときの、ひとつの静寂があったように感じました。

放送時に見ていたら多分、私ももっと静かな気持ちで見ていたと思うのですが。
あれから二ヶ月ほどが経ち、ハマりたてのアイドルグループのひらりと桜と、腹筋太鼓。
普通~~~~~~に途中途中、うわ格好いい……みたいな邪な気持ちが入ってしまいました。

完全自己満足ですが、なんとなくかいてみます。


*ひらりと桜

始まった瞬間私は友達に叫びました(友達の家の録画を見ていたので)

私「いや桜多くね!!!!?!!!」

多いですよね?
YouTubeかな?の滝沢歌舞伎zeroの紹介とかの映像とか見てたりしてても思ったんですけど、
紅白の北島三郎か?ってくらい多い。


だって、ひらりと桜なのになんかもうどばっと桜って感じだった……。これはジャニーズ好きになりたて人間の感想なので、ジャニオタじゃない人たちは皆そう思ったんだと信じたい……。ジャニオタの人達も多いと思ってたら私もかなり安心します……。

桜吹雪口に入らんか?足は重くないんか????というかそもそも足滑らんか?こけんか?大丈夫か???と思いながら見舞っていると、桜の滝の濁流(?)にも流されず、9人が見事にあらわれました。

皆すっごいいい笑顔でビックリしました。
show must go on。あの時期よく聞いた言葉でした。皆綺麗な笑顔で。
あぁアイドルだ、サマパラで見たのと同じような笑顔だ、と思いました。

先輩達が見守ってる、というよりもはや、私からすると、じっと数多くの先輩や、自分より年下のデビューした子達に、ずっと見張られているかのような気持ちになってしまいそうなあの場所で、SnowManはとても綺麗な笑顔でパフォーマンスをしていて。
あ、私やっぱりこのグループが好きだな、と気付きました。息を呑んで見守っていました。
もうとっくにすんでいることなのに、こうやって見守って、応援したくなるってやっぱり強い。
アイドルは応援されなきゃアイドルたれないとも思っているので、やっぱりアイドルなんだと。

まだ1度しか見てないので、あんまり詳しいことを思い出せないんですが、隣にいた目黒阿部ペア、凄くバランスがよかった。あ、バランスいいわ、と何となく思いました。ほかのシンメも好きだけど、これは、並んでてほしいって強く思いました。
PPPのテストステロンのとこもそうですしね。


*腹筋太鼓


凄かった。あぁこれは、劇場に見に行くな、というものでした。あの迫力はなかなか見れない。
限界の状態のアイドルたち。

なんか、なんですかね。
あぁこれは「生」だなぁってなんか思いました。

四苦八苦の四苦はなんですか?って阿部ちゃん先生の問題であったけど、生老病死の「生」と「死」。

生と死は隣り合わせで、そして、ジャニーさんの死があって。
限界の状態で太鼓を叩き続けるメンバーや、他のジュニアの子達。そこには汗があって呼吸があって、先輩からの目線だったり、ジャニーさんを悼む想いだったり。思い出だったり。

人間は「死」に近いものに魅力を感じるんでしたっけ。だから「死」ギリギリの縁にいる感じがするアイドルの子にどうしようもなくひかれたりするとか。私は生きててほしいから辛くなってあんまり見ないようにしてるけど、あの独特の「死」の感じは分かる。

でもSnowManにそんなもの感じたことなくて。
だから腹筋太鼓に圧倒的な「生」を感じたとき、私は少し怖くなりました。
SnowManのメンバーが苦しそうな顔をしながら太鼓を叩いているあの場には確実に、圧倒的に「生」があったから。「死」と隣り合わせの、危ういくらいの。怖かった。綺麗でまっすぐな、ナイフどころじゃなく、綺麗に丹念に、何年も何年も積み重ねた力で、実力で鍛刀された日本刀って言葉がピッタリだった。

阿部ちゃん、結構長い間アップだった時間がありました。

あの時の阿部ちゃんは、阿部「ちゃん」じゃなかった。
阿部亮平」っていう、性別が男性の、一人の人間でした。いつものどことなく可愛い感じはなかった。ただひたすらに格好良かった。
大きな瞳がどんな意思を持ってなにを見つめていたのかは分からないけど、あぁこんな瞳でこの人は生きてきたのだと思いました。あの瞬間、純度の高すぎる瞳だった。
YouTubeで見てたはずの、上半身の裸がアップになったとき、うわ、これは男の人の体だ、と思った。

あの瞬間、阿部ちゃんはアイドルだったけど、
亡くなった誰かを悼むために精一杯自分の為すべきことをする一人の男性だった。
多分当時見たらこんなこと思わなかった。
誰かの死はある程度落ち着くと、結構客観的になれるからこそ思うことで、不謹慎だけど、かなり恥ずかしくなって、照れてしまった。うわぁ、と変な声をテレビの前で出してしまった。

サマパラのときも「こんな可愛い阿部ちゃん知らないよ!!?!!」と私はずっと思ってたけど、
同じくらい「こんな格好いいなんて知らない!!!!惚れる!!!!」とおもった。


メカ太鼓に目黒くん、佐久間くん、向井くんがのってるのは知ってたけど、メカ太鼓がどんなものかはしらなくて。
開いてびっっくりした。うわこうなんの、え、まわんの、しかも下で誰かはしってんの!?!!?!

腹筋太鼓めちゃくちゃなことやるじゃないですか……と思いながら見守り、パフォーマンスが終了。
もっとジュニアを映してほしかったという意見がたくさんあったと後々わかったけど、私もずっとそう思いながら見てた。今必死になって頑張ってるのはジュニアの子達だからとか、流石にこのタイミングではそっちを映すもんなんじゃないの……とか。

見守っている図を見れたのは良かったけど、でもね。ワイプとかじゃ駄目だったかな。


最後の照くんのアップがなんとなく苦しかった。
苦しそうな顔をしてたけど、泣きそうなような顔にも見えた気がした。
とどくはずもない拍手を画面の前でした。




美しくて怖かった。っていうのがどちらもの感想かもしれない。
畏怖?みたいなものかもしれない。

ひらりと桜の、キラキラとしたアイドルのパフォーマンスと、腹筋太鼓のあの迫力を、どちらも血のにじむような努力でつくっていること。

そういうことを仕事にしている人達のことを好きになったんだということも少し怖くなった。
私は本当に普通の、普通の人間だから。
なんならめんどくさがりやで、そんなに色々頑張れなかった人間だから(それでも、頑張ったことだってもちろんあった)。

誰かの死や、死に近づいていることを聞かされた瞬間を、私はここ数年で3回ほど経験した。
もうずっとあんなものはいらない。両親や親戚も友達の死ももっとずっと先であってほしいと願うくらい、もう、嫌になるくらい味わった。

空気や、自分の周りの音が全部澄んだようになる。静かになる。
ただ漠然とした「死」ということだけが頭を占める。
器があっても中身がないことを実感する。
触れても呼び掛けてももう何もないこと。
そこにただ無があること。

そういうものを、呼び起こさせるようなパフォーマンスだったから、怖かったのかもしれない。
怖いってずっといってるから悪い意味に聞こえそうだけど、そうじゃないってわかってほしい。
それを思い出せるくらいのものを見させられたのだ。めちゃめちゃに褒めている。
人間の、怒りとかじゃない、喜びだったり、悲しみだったりの感情を引きずり出すことができるパフォーマンスは凄いものだとおもうから。

もちろんこれは私の感想だし、こんなことかいてるけど「いやあの阿部ちゃんはちょっとなんかよくわかんないけどあまりにも性的だった」とか頭を抱えている自分もいたりする。

見れて良かったなとほんとに思う。
友達がダビングをしてくれるらしいので、今度してもらう。でもあんまり見返せないかもな。


読んでくださってありがとうございました。
今日もいい日になりますように。今日は有吉ゼミの日だ!楽しみにして、今日もいちにちがんばりましょ!